『甲斐志料集成・甲斐儒医伝』によると、甲州萬力筋国府村(現在の山梨県笛吹市)の武田氏郷士・辻氏を継いだ辻保順守瓶(もりかめ)が、安永2年(1773年)に中郡(なかのごおり)筋の医科・高室氏に入門、後に独立して国府で医業を営んだとあり、これを初代保順としています。
初代保順は本居宣長にも学び、宣長との間に交わされた書簡も現存しています。
五代目までは漢方医でしたが、六代目は明治24年の医師法改正に伴い西洋医学を修め、医師免許を得たと記録されています。七代・八代目は台湾の台中で開業、しかし昭和20年の敗戦により一家は山梨に引き揚げ、甲府市において八代・九代目(私の父)が辻保順医院を継いでいました。9代目の父は平成25年に85歳で引退、平成30年逝去(享年90歳)
本来ならば甲府にて父の医院を引き継ぐのが筋ではありますが、埼玉県に縁あって平成7年(1995年)5月、東松山市に開業し、診療所にその名を冠し、十代辻保順医院とした次第です。
辻保順医院の歴史については、辻 邦生著「銀杏散りやまず」に詳しく述べられています。
辻 邦生(つじ くにお)大正14年(1925年)9.24~平成11年(1999年)7.29
東京都出身。東京大学仏文科卒業。
フランスに留学。帰国後、短篇小説の試作を経て、’63長篇『廻廊にて』で近代文学賞を受賞。この後、芸術選奨新人賞を得た’68の『安土往還記』や’72に毎日芸術賞を受けた『背教者ユリアヌス』等、独自の歴史小説を次々と発表。 ’95年11月『西行花伝』で谷崎潤一郎賞受賞。人間と美に対する信頼を隠さずに表した、人格と作品の価値の高さが一致する稀有な作家として注目された。 他に代表的な作品は『嵯峨野明月記』『銀杏散りやまず』などがある。滞在中の軽井沢で逝去。享年73歳。